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歴史探訪

広島県三原市歴史探訪
三原市の概要
三原市は、広島県の南部に位置し、市南部には、沼田川流域の平野に加えて、瀬戸内海と山地に挟まれた帯状の平野が広がり、北部には、世羅台地の一部をなす丘陵状の平地が広がっています。また、市域には、瀬戸内海国立公園、佛通寺御調八幡宮県立自然公園や竹林寺用倉山県立自然公園、国指定天然記念物の久井の岩海などの景勝地、白竜湖等の湖沼・河川や丘陵などがあり、瀬戸内海と山地・丘陵地がおりなす豊かな自然にあふれています。 産業面では、三菱重工、帝人など、重厚長大型と繊維で栄えましたが、近年、シャープ、大日本印刷プレシジョンデバイスなど電子系の企業が進出し、産業移行が起こり始めています。

三原のあゆみ
三原市内には、御年代(みとしろ)古墳を始め、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が数多く残されており、古くからこの地で人々が生活を営んでいたことが伺えます。

奈良時代から平安時代には、古山陽道の駅や瀬戸内海航路の港が設けられ、陸海交通の要衝として栄えました。また、楽音寺(本郷町)や昭和30年代まで続いた杭(久井町)の牛市など、今に残る歴史資源が創設されたほか、沼田庄や杭の庄等の荘園が経営され、穀倉地としての役割を果たしてきました。

鎌倉時代から戦国時代にかけては、安芸に小早川氏、備後に杉原・渋川の諸氏が入り、小早川氏ゆかりの棲真寺(大和町)が創建されたほか、椋梨(堀)城・高山城・新高山城などが築城されました。永亨5年(1433年)には、今の本市、荻路に商家が集まる市が生まれました。また、旧三原は、塩の積み出しや朝鮮との貿易などに利用される港町として繁栄し、その町人の神明信仰を中心として神明市が始められました。こうした歴史的背景を元に小早川隆景が、永禄10年(1567年)に三原城を築城しました。

江戸時代には広島藩の領地となり、城下町として繁栄しました。城下町として村々の機構が整備されると、塩、清酒、鍛冶など産業振興が促され、また、新田開発や技術向上により農業が発達し、生産性が大きく向上しました。一方、明善堂を始めとする藩校が開校し、今日に続く本市の教学の伝統が生まれることになりました。

明治4年の廃藩置県で三原は広島県に組み入れられ、明治22年(1889年)には、市制町村制の施行により三原町となりました。その後、山陽鉄道の施設、糸崎の特別輸出港指定などにより、商業も急速に活気をみせましたが、時代は次第に工業立国への道を歩み、スタンダード石油、日本ラミー繊維(現在のトスコ)、片倉製糸、日本セメントなどの大工場が相次いで建設されました。

昭和に入ると帝人、三菱重工などが進出し、工業都市として発展していく一方、後に合併する本郷町・久井町・大和町は、米作地域としての役割を果たしてきました。この間、昭和11年(昭和36年)11月に、三原市ほか2町4町が合併、市制を施行し、三原市が誕生しました。
昭和50年3月、新幹線が三原駅に停車するようになったのを契機に、市街地再開発事業を始めとする多くの事業が推進され、本土と四国、島しょ部を結ぶ交通拠点の商工業都市として、大きくその姿を変えていきました。近年の新広島空港の建設、山陽自動車道などの交通体系の整備により、陸・海・空の総合的な交通拠点都市としてさらなる発展が期待されています。

2005年(平成17年)3月22日に、旧三原市と豊田郡本郷町、御調郡久井町、賀茂郡大和町が合併し、新生三原市として新たなスタートを切りました。新市建設計画では、「海・山・空 夢ひらくまち」をスローガンに掲げ、伝統ある祭り、歴史的建造物、豊かな自然など各地域の魅力とマンパワーを結集し、市民の誰もが健康で安心、安全に暮らせるまちづくりを目指しています。


三原の名前の由来
三原市の由来は、山と山との間の谷間が湧原、駒ヶ原、小西原の3つの川の流れ出たところにできた土地であるからだといわれています。


三原の歴史についてもっと詳しく知りたい人はこちら↓
 三原市歴史民俗資料館
住所: 〒723-0015
広島県三原市円一町2-3-2 [地図を見る]
電話番号: 0848-62-5595
開館時間: 9:30〜17:00
休館日: 祝日、5月4日、年末年始
入館料: 無料







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